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コウノトリの歴史 アーカイブ

2009年5月29日

コウノトリ100年の歴史(その1)

(1)江戸時代 ほぼ全国各地でコウノトリが見られた
 コウノトリは日本の至るところで見られる鳥でした。江戸時代中~後期の絵や文章から、豊岡盆地にもいたことが分かります。

▲江戸時代後期の豊岡藩を描いた絵巻物。円山川沿いの水田にコウノトリが生息していたことが描かれています。

(2)明治25年(1892年) 狩猟規則公布
 狩猟規則が公布され、ツルやツバメなどは保護鳥とされましたが、効率的な農業の支障となる有害鳥と認識されていたコウノトリは保護鳥にされませんでした。
 明治初年から25年間、野生動物保護に対する国の手立てがない間に、水田を餌場とするコウノトリは全国的に絶滅に追いやられました。

(3)明治37年(1904年) 瑞鳥ブーム
 出石鶴山(現豊岡市出石町桜尾)に営巣していたコウノトリが4羽のヒナを産むと、日露戦争の勝利とあいまって、この繁殖は吉兆であるとの「瑞鳥ブーム」がまきおこりました。

 鶴山にはコウノトリ見学のための茶店が出されました。その後、第二次世界大戦前まで各地のコウノトリ営巣地に茶店が出されることが一般的になり、市外からも大勢の人々がコウノトリ見学に訪れました。

 旧室埴村役場は鶴山の保護に乗り出し、看板を立てるなどして見物人に対するマナー啓発を行いました。また、兵庫県は鶴山の周囲18ヘクタールを銃猟禁止地に指定しました。

(4)明治41年(1908年) 狩猟法改正
 鳥獣保護の根拠に初めて「希少性」が加えられ、コウノトリ、トキ、ヘラサギが保護鳥に追加指定されました。しかし、すでにコウノトリは全国的に姿を消しつつありました。

(5)大正10年(1921年) 史跡名勝天然記念物の指定
 コウノトリの繁殖地として出石の鶴山が天然記念物に指定されました。

(6)昭和9年(1934年) 豊岡周辺のコウノトリの最盛期
 豊岡盆地を中心に朝来市、京都府京丹後市にかけて15km×30kmの範囲に約60羽が生息していたといわれています。

2009年6月 1日

コウノトリ100年の歴史(その2)

(1)昭和14年~20年(1939年~1945年)ごろ 戦争による環境破壊
 コウノトリが巣をかける松の木が大量に伐採されました。松の根からとれる油を利用したり、戦地に木材を供給するためでした。
 これにより、コウノトリは日本で子育てをする環境を失ってしまいました。
 また、戦争はコウノトリの渡りルート(アムール川中・下流域・中国東北部~中国南部・朝鮮半島・日本など)を荒廃させ、生息環境をまるごと破壊してしまいました。

(2)高度経済成長期(1950年~60年代)
 豊岡盆地一帯に広がっていた湿田や湿地が河川改修・農地整備により消滅しました。これによって、ドジョウ・フナなどの水辺の生きもの(=コウノトリのエサ)がすみにくくなりました。
 また、農薬の使用が普及しました。農薬はドジョウ・フナなどの生きものを殺してしまうだけでなく、農薬に汚染されたドジョウ・フナなどを食べたコウノトリの体をむしばみました。
 コウノトリは生息環境とエサを失ったうえ、農薬で体をむしばまれ、激減しました。

▲豊岡盆地の湿田(豊岡では「じる田」と呼ぶ。) 水はけが悪く、ぬかるみ、腰あたりまで沈んでしまうので農作業がたいへんでした。しかし、水辺の生きものにとっては非常にいい環境で、たくさんの生きものを育んでいました。水辺の生きものを食べるコウノトリも、その1つでした。

(3)昭和30年(1955年) 官民一体となった保護活動の始まり
 減り続けるコウノトリを絶滅させないため、組織的なコウノトリ保護活動が始まりました。この年、行政と民間が一緒になって「コウノトリ保護協賛会」を結成しました。
 この団体は、昭和30年代に「コウノトリをそっとする運動」、「ドジョウ1匹運動」(兵庫県内各地からドジョウを持ち寄り、コウノトリのエサ不足を解消する)、「愛のきょ金運動」(募金)を展開しました。
 また、巣をかける松の代わりに人工巣塔を設置しました。しかし、その周辺の田んぼでは農薬がさかんに使用されました。
 保護活動にもかかわらず、コウノトリは減り続け、昭和34年(1959年)を最後にヒナは一度も生まれませんでした。


▲死亡したコウノトリと阪本兵庫県知事

2009年6月 4日

コウノトリ100年の歴史(その3)

(1)昭和40年(1965年) 人工飼育の開始
 野生のコウノトリの数が12羽まで減少したので、絶滅を防ぐための最終の手段として、野生で暮らすペア(夫婦)を捕獲し、ケージの中で飼育しながら繁殖させる「人工飼育」を開始しました。このとき、私たちはコウノトリと「もう一度数が増えたら、きっと空に帰す」と約束しました。


▲捕獲されたコウノトリ

(2)昭和46年(1971年) 野生コウノトリ絶滅
 最後まで野生として残っていたコウノトリが衰弱した状態で保護されました。懸命の治療が行われましたが、その甲斐もなく死亡し、コウノトリは日本の空から姿を消しました。

(3)昭和40~50年代ごろ(1965~1984年ごろ) 苦難の連続だった人工飼育
 ケージの中で飼育されたコウノトリは産卵はしましたが、無精卵であったり、孵化しなかったりで、ヒナは1羽もかえりませんでした。
 国内唯一の生息地である豊岡で孤立した小集団となったために近親婚を繰り返して遺伝的に劣化していたこと、そして有機水銀などの農薬で体が蝕まれていたことが原因でした。
 歳月が経てば、コウノトリの生殖機能も衰えてきます。昭和50年代の終わりには、飼育場は絶望感でいっぱいでした。


▲フライングケージの中のコウノトリ

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